舞台の効果音

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ターミネーター 11
『ターミネーター4 』(Terminator Salvation)が、ついに公開とあいなった。
現在、カリフォルニア州知事のアーノルド・シュワルツェネッガーが、
ただのボディービルで鍛えた肉体美だけを誇る俳優ではないということを
とりあえず証明した出世作シリーズだ。
『ターミネーター』(『T1』)から続くシリーズの4作目であり、
この『T4』には、すったもんだの末に、
結局かなりの予算をかけたCGによって、
若々しいT-800の姿で登場となっている。
(もちろんご登場の際にはターミネーターのテーマが流れるのもご愛敬)
ターミネーター 1
それにしても、
最初の作品の『ターミネーター』(原題 The Terminator)が公開されたのは、1984年。
もう、25年も前になる。
『T1』を書いたジェームズ・キャメロンの脚本では、
本来的に1話完結のものだったという。
ただ、続編については、ほんのちょっぴり頭の隅っこにあったらしいのだが、
『T2』・『T3 』と物語が続けられ、
ついでにTVヴァージョンとして、
『ターミネーター サラ・コナー・クロニクルズ』まで
制作される状態になってしまっている。
ハリウッドの企画力のなさというか、節操のなさというべきか、
どっちにしても、無理やりな感じで、やむを得ず続編をつくることに携わってしまった人間は
相当大変であるのは間違いない。
ターミネーター 3
『T1』でのあらすじは、それだけでSFとしては充分素敵なものだったと思う。
反乱を起こした機械と、それに抵抗する人間が互いに戦い合う近未来、
人類側の抵抗軍指導者として一人の男が立ち上がった。
彼の名はジョン・コナー。
脅威を感じた機械は未来から現代にターミネーターを送りこんだ。
目的は人類側の指導者を歴史から抹殺するため、
後のジョンの母親となるサラ・コナーを殺害する為だった。
いいですね~、実に古典的な設定だ。

特に、個人的には『T1』のラストシーンが好きだ。

サラの目の前には砂漠を貫いて続く果てもない道。
憂いを秘めた横顔を風が駆け抜けていく。
戦いの中で鍛えられたタンクトップからのぞく二の腕。
カイルとの間の息子ジョンを宿したサラは、ジープを走らせながら、
テープに音声を吹き込んで日記を作成していく。
死んでしまったカイルの残した言葉と
未来に訪れる「審判の日」を思い浮かべて。

ひとりの女性には背負いきれないほどの悲しみ…
人類の終焉をたった一人の自分が防ごうとしているというどうしようもない不安と
それを思いつつも決然とした覚悟。
そんな諸々の感情が抑制されストイックな感じで表現されている。

ちっぽけな一人の人間が、人類全体の終焉を防ぐために、
巨大な敵に立ち向かっていくという構図がいい。
ターミネーター 7
『ターミネーター4 』(Terminator Salvation)では、
『チャーリーズ・エンジェル』のMcG(マックジー)が監督。
新3部作ということで着手することになった。ようするにさらに続編を作るわけだ。
制作費は約2億ドル(280億円)!

この作品では、
やがて人類の抵抗軍指導者となるジョン・コナーと
過去にタイムトラベルをして、ジョンの父になるカイル・リースと
謎に満ちたマーカスという機械化された人間、
三者の物語となっている。

ターミネーター 6
2018年。地球上のあらゆる都市が、
超高性能コンピューター「スカイネット」による核攻撃を受けた「審判の日」後の
荒廃した世界。
「審判の日」を生き延び、ジョン・コナーはまだ一介のレジスタンスの部隊長。
敵であるスカイネットの「暗殺リスト」に
自分の名前と、
最重要ターゲットとして「カイル・リース」の
名前があることを知った彼は少年カイルを救うべく、
スカイネットの拠点へと乗り込む。
記憶を一切を失っていたマーカスは、
自身の体が脳と心臓以外すべて機械の体と化していたことを知り愕然とする。
ジョンはマーカスをレジスタンス軍から解放し、カイルの救出へ。
しかし、彼は知らなかった。母が警告していた未来が書き換えられた事を…。
ターミネーター 8
脚本は「ザ・インターネット」「ゲーム」の
ジョン・D・ブランケットとマイケル・フェリスのコンビが中心になって作っている。
新三部作の第1話ということもあって、
次に向けての伏線やらプロットにも苦労しているのだと思う。

「スカイネットが人々を生け捕りにし、生体細胞を複製しようとしている」という設定
「記憶を一切を失ったマーカス(機械化された男)」という新しいキャラクター
などにその苦労の跡がほの見える。

ともかく、
あの駄作の誉れ高い『T3』よりは、ずっと好評なスタートをきっているわけだ。
第3部目でどんな終結を想定しているかは実に気になるものの、
お久しぶりの『ターミネーター』の世界観を楽しむのもいいかもしれない。

ホントに最近のハリウッドは、
「スタートレック」やら、「ターミネーター」なども、
かつて成功した設定やキャラクター、世界観を借りて、
物語を生み出さざる得ない状況に追い込まれているのだろうか。
一種のシェアワールドとは言っても、ぜひ、練りに練ったものを見たいものだ。
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ターミネーター 4




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『スタートレック』が帰ってきた。
もちろん監督は、
「LOST」『クローバーフィールド/HAKAISHA』のJ・J・エイブラムス。
この人は、ホントに今の時代の波に乗っている感じだなぁ。

とにかく「スター・トレック」シリーズは、懐かしい。
もちろん自分だけでなく長い歳月を経て、
世界中にコアなトレッキーたちもいるわけだ。
振り返ってみれば、1966年にオリジナルのTVシリーズがスタートですものね。
もうかれこれ40年以上の歴史があるシリーズ作品群になってしまった。スタートレック 13
そもそもNBCネットワークにおいて
1966年から1969年まで全3シーズンが制作され放送されたとはいうものの、
本当は局の方からも、全く期待されない企画だったというし、
当然ながら、超低予算の中で作品は作られた。
たとえば、スタートレックではおなじみ「転送」なんてなシステムも、
特撮に金をかけられなかったからこそ生まれたアイディアだったというのも、有名な話だ。
そんな低予算だからこそ、
SFにしては珍しいほど、人間的ドラマの部分に演出の重点をおくようになった。
おかげで誕生したカーク船長とスポックとの「人間性」、「論理」、
「感情」などにまつわる会話なんかは、実に良かった。
また、各話ごとに、
「老い」や「時間」、「人種問題」にまつわるテーマなどなど、
けっこう今でも通用するエピソードが成立していたんだよなぁ。
スタートレック 8
日本では、当初『宇宙大作戦』と名付けられて放送。
このかつてのスタートレックの配役は以下の通り

ジェームズ・タイベリアス・カーク、(ウィリアム・シャトナー)
スポック(レナード・ニモイ)。
レナード・マッコイ(ディフォレスト・ケリー)
モンゴメリー・スコット(日本語版ではチャーリー)(ジェームズ・ドゥーハン)
ウフーラ(日本語版ではウラ)(ニシェル・ニコルズ)
ヒカル・スールー(日本語版では加藤)(ジョージ・タケイ)
パベル・チェコフ(ウォルター・ケーニッグ)
スタートレック
これらのスタッフは、いわばシンボリックな国連みたいなもので、
それぞれの代表的な民族のイメージがその役柄に担わされてもいたわけだ。
宇宙船の名は、エンタープライズ号。
アメリカ合衆国主導による明るく脳天気で、
夢のある未来を思い描いて作られて作品でもあった。
(現在の複雑怪奇な国際状況とは雲泥の違いだ)
スタートレック 12
「宇宙、それは、人類に残された最後の開拓地である。
そこには、想像絶する新しい文明、新しい生命が待ち受けているに違いない…」
若山弦蔵さんのオープニングでのナレーションも素敵だった。
そのテレビ画像を食い入るようにして見ていた子供も、
いい大人になってしまっている。
また、ウィリアム・シャトナーやレナード・ニモイなどの
役者たちも老人となってしまった。
いやはや、時の流れは早いもんだ。
ともあれ、
スタートレックの原点の作品は、予算がないため映像的にはしょぼくとも、
その精神は後に巨費を投じて制作された映画版よりも、
内容は芳醇で豊かなものがある。
だからこそStar Trek: TOS(TOS = The Original Seriesの略)と
呼ばれる価値があるのだろうと思う。
スタートレック 10

今回のスタートレックは、エピソード0とでもいうべき作品。
再び、若きカークやスポックが私たちの目の前に登場してくる。

あらすじは…。

幼い頃、惑星連邦軍艦隊の優秀なキャプテンであった父親を
亡くしたジェームズ・T・カーク(クリス・パイン)だが、
父を知る人物からその英雄的な最期を聞かされ、
連邦艦隊への入隊を志願する。
しかし、カークは惑星連邦軍戦艦・USSエンタープライズのクルーとして、
宇宙へ旅立つものの、トラブル続きで、
クルー仲間のスポックから反感を買う…。

いいですね~。
スタートレック 6
JJエイブラムス監督が、スタートレックシリーズの最新エピソードを
あえて描こうとしなかったところに意味がある。
当然、原点であるテレビシリーズスタート前夜の物語から始まったということは、
新たな「スタートレック」を
これから先も次々と制作していく意図が背景にあるのだろう。

建造中の巨大な宇宙船エンタープライズ号を
見上げている若き日のカークという今回の映像がとてつもなくいい。
さまざまな物語を予感させる素敵なワンシーンだと思う。

原点の精神をふまえつつ、
まったく別の物語が今始まった。

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スタートレック 20




『CASSHERN』の紀里谷和明監督が、
5年ぶりに送り出す監督第2作目は『GOEMON』。
ということで、すでに5月1日に公開されていますね~。
ご覧になった方も多いのではないかと思います。
goemon 6
豪華な役者たちと過剰なまでに手の込んだCG。
なにせ、あの紀里谷監督ですからね。
先日、あるインタビューの中で、こんなことを監督は語っていました。
「『CASSHERN』が最左翼だったら『GOEMON』は最右翼。
今回はジェームズ・キャメロン的なエンターテインメントで、
ほんとにみんなが分かる作品です。
『CASSHERN』では“分からない”という人たちがいたので、
そういう人たちをなくそうという意識は大きかったです。」と。
goemon 3
監督が自ら言っていた観客にとって“分からない”作品である『CASSHERN』は、
冗談抜きにホントに心底わけのわからない作品でした。
ただ、映像に関してはとんでもなく凝っていて、
圧倒的な独自の世界をCGを利用してこんなにも描けるのかと
驚かされたものでした。
紀里谷監督は、実に映像面に関して突出した才能を持ち合わせているんでしょう。

ただ、これまでの作品やインタビューなどを総合的に考えると、
紀里谷監督って、やっぱりバランスの悪い人なんではないかと思う。
自分は映像のみにして、
脚本や編集、演技指導などは他の頼りになる相棒(専門家)に
任せきってしまえばとも思うのだけれども、
全部ご自分でやろうとするから、逆に歪みがでてしまう。
goemon 5
というわけで、今回の『GOEMON』の物語は、
自由を求め自分の運命と闘う五右衛門、
侍になることを願いながら皮肉な運命を辿る霧隠才蔵、
権力欲に燃え闇に墜ちていく豊臣秀吉、
それぞれが、
織田信長暗殺の秘密が封印された南蛮渡来の箱を巡って運命は変化して行くというもの。
goemon 4
「世界を創造したい、という欲求があるんです。
今は、ですが。ちょっと“神コンプレックス”かもしれないんですけど。
映画を創るときは、極端な話、空のデザインから始まっちゃいますからね。」
と、話す紀里谷監督ではあるが、この言葉も彼の性質をよく表してる。
撮影スタッフや役者らの意見も踏まえながら、
総合的に作品をつくればいいものを、
欲張りな紀里谷監督は一人何役もこなしてやってしまうから、
どんどん勝手な思い込みと歪みが作品に反映されてしまう。
それこそ神のごとく、すべて自分でやってしまうわけだ。
きっとかなり自信家なのでしょうし、
自分のセンスからちょっとでもはずれると許せないのかもしれない。
残念だなぁ。
goemon 7

ただ、今回の『GOEMON』は、「意外にいい」という
感想を述べられる方も多い。
なにせ比較しているものが前作の『CASSHERN』なんで、
はじめっから期待していない観客にしてみれば当然こういう評価になるのでしょう。
また、実際にわかりやすい筋立てにはなっている。
(ただ、映像の緻密さに比べてなんと貧相なものであることか)
goemon 2
「もっと人間ドラマ、もっと恋愛をやるかもしれない。
そして英語劇ですね。
というのも今、製作費が限界にきてて、
これ以上のバジェットを求めるならマーケットを
世界に拡大していくしかないんです。
でも、もし日本で撮るなら、カルマ(輪廻転生)を
テーマにしたものをやってみたいなと思います」
これは、今後についての方向性を監督が話した言葉ではあるが、
やっぱりそういうのって、監督自身が自分をきちんと認識していないんですよ。
ムリだろうなぁ
特にこの人にとっては、「人間ドラマ」はやはり似合わないのではないかと思う。
監督本人がある意味人間臭くない人だからしょうがない。
前回の離婚体験みたいな人間っぽい体験の絶対量がきっと少ないんですよ、きっと。

とにかく、とんでもないほどの映像を生み出す才能という武器をもっているのだから、
できれば「輪廻転生」にまつわる映像に対して、
紀里谷監督が関わると、
かなり面白いものになるんじゃないかと思う。
今の日本では、このようなタイプのイメージの限界を超えられる人は何人かいるけれども、
紀里谷監督はその最有力候補。
もちろん、脚本は他のプロにまかせて、
なんだけれども…、できるかなぁ…、
紀里谷監督の映像に対する才能を無駄に消耗するのは、
もったいない。
彼の人間的な成長が必要なのかも。
そして、
彼のそばに優れた参謀がつくことを願うばかりだ。

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goemon 1




『スラムドッグ$ミリオネア(原題:SLUMDOG MILLIONAIRE)』が、
ついに公開されましたね。
(2008年のイギリス映画。
インド人作家のヴィカス・スワラップの
『ぼくと1ルピーの神様』をダニー・ボイルが映画化。)
スラムドックミリオネア 8
ムンバイの汚れた路地を駆け抜ける子供たち。
電車の乗客から金を盗み、
インチキ観光ガイド、
泥棒と売春
兄とみなしごラティカとともに強烈な貧困の中を生き抜いてきた。
餓えと戦い、ゴミと糞にまみれても、明るさと誠実さは失わなかった。
刑事に語る主人公ジャマールの過酷な生い立ち。
なぜ、無学な彼がミリオネアで数々の難問をクリアできたのか。
しだいに、明かされていく彼の人生とそして彼が求めたもの…。
スラムドックミリオネア 7
インドかぁ、懐かしいなぁ…。
昔、インドをひとり旅していたんだよなぁ。
旅の記憶っていうやつは大事だ。

そう、あの時…。
ガンジス河が滔々と流れていた。
熱気とと喧噪のバザールを抜け、
執拗につきまとい続ける物乞いたちの手を振り払うようにして、
ガンガーのほとりに出た。
遠くにカート(沐浴場)が見える。
静かだ。
あれほど騒々しかったオートリキシャの雑音もない。
褐色の肌をした人々は、短い旅の中で鮮烈な生き様を見せつけてくれた。
人はどんな風にしても生きていけるようだ…。
そんなことを思いながら、
リュックにホテルで買ったミネラルウォーターを突っ込んでは、
インドの路地をふらついていたことを思い出しちゃいますね。
5ルピーもあれば、ニューデリーの市内だったらどこにでもいけるし、
ぶらぶら歩いてもそれなりに楽しめる。
時には、スニーカー(運動靴)なのに、靴磨きされそうになったり、
たまに出くわす日本人とも、なんとなく友達になれる。
特にインドに長く滞在していた大阪外語大学の某教授とも知り合って、
インド文学についてのレクチャーをうけるついでに、
いろいろとご馳走になったり…、
旅は出会いですよね。
「インド人にとって、赤痢なんかは風邪みたいなもんです」と
旅の途中で一緒になったアメリカの若者が
ニヤリと笑いながら言っていたのも印象的だった。スラムドックミリオネア
さて、
『スラムドッグ$ミリオネア(原題:SLUMDOG MILLIONAIRE)』
スラム出身のジャマールが、
100ドル札の大統領の名前や、
ピストルの発明者を知っていたのか? 
ミリオネアのクイズと、
警察での尋問の中で語られるジャマールの人生が
オーバーラップするアイディアはいいですね。
さすがアカデミー賞を総なめにしただけのことはある。
スラムドックミリオネア 5
ちなみにインドのテレビ番組って、
どれもこれも踊りの場面が含まれていたような感じがする。
インド映画はもちろんだけれど、
歯磨きのCMでもシタールにあわせてインドの男女のダンスが
無関係にしかもむやみに挿入されていたのがおかしかった。
しかも、テレビで流される映画の字幕スーパーは主に中国語だったし…。
おもしろい国だよなぁ。

スラムドックミリオネア 9
クイズ番組 "Who Wants To Be A Millionaire?" に挑戦したスラム育ちの若者の物語を
監督はどんな思いで取り組んだのだろう。
しかも、主人公は生き別れになった幼なじみの
少女ラティカ(フリーダ・ピント)との再会もこのクイズに賭けているという設定。
監督は
「インドがあってムンバイがここにあって、
という感じで海外の観客に説明するような形で描きたくはなかったんです。
最初からみなさんをスラムにお連れし、
そこに暮らし、縦横無尽に走り抜ける子供たちの視点で
スラムを見てもらえるようにしました。
ただ、スラムを描くからといって観客が“貧困”という点に
とらわれ過ぎないようにもしました。
もちろん、映画の中で貧困は描かれますが、
決してこの映画は貧困をテーマにした作品ではないのです」と語っている。
スラムドックミリオネア 6
貧困で薄汚れ、犯罪が渦巻くスラムの中を瞳を輝かせながら疾走していく子供たち。
そんなシンボリックなシーンを含め、
インドがもっている生命感みたいなものが全編に通じて表現されている。
運命を乗り越え「夢」をつかむ者たちの物語。
結局、
全米でほそぼそと10館のみで公開したこの映画が、
あっという間にアカデミー賞最多8部門を制覇した事実と
スラムドック(負け犬)がミリオネアになっていく映画の構図とが、
なぜか類似しているわけで、不思議な力に満ちた作品と言えるのだろう。

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スラムドックミリノエア


レッドクリフ 4

再び春は巡ってきて、
『レッドクリフ Part Ⅱ/未来への最終決戦』も4月10日に公開。
赤壁の戦いも、やっとクライマックスに突入するわけで、
孫権軍と劉備軍との連合軍vs曹操の大軍の戦いがダイナミックに描かれる。
いいですね~。
レッドクリフ 7
それにしても、ジョン・ウー監督っていう人は、
この映画で何を伝えたかったのだろう?
ふと思ってしまう。

早くも『レッドクリフ Part Ⅱ/未来への最終決戦』の試写会などを経た人たちから、
さまざまなレビューが寄せられている。
ただ、その多くは映像は素晴らしいものの、
脚本があまりにも弱いという批評が多い。
それは、前作の 『Part Ⅰ』においてもそうだったけれども、
特に今回は散々な言われようだ。
レッドクリフ 6
かつて香港時代に監督したアクション映画でブレイクしたジョン・ウー監督。
アクションシーンにおいて、たとえ暴力的で血なまぐさい場面であっても、
非常に美しく撮影する。
その美意識のために、
「バイオレンスの詩人」と言われていることは周知の事実。
いわゆるジョン・ウーアクション。
彼の作品で多用されたアクション表現のパターンとしてよく挙げられるものは、
・ 両手に銃をもって華麗に立ち回る「二丁拳銃」アクション
・ 戦闘中に飛ぶ白い鳩
・ 同時に拳銃を向け合う2人の人物
・立て続けのカット割りからのスローモーション
そんなことは、多くの人が知っているわけであり、
今回の『レッドクリフ』においても、銃を剣や槍に変え、同じ手法で挑んでいる。
ご本人は、自分は「暴力否定論者」だと語っているし、
スラム街で育った子供の頃に、
まわりから暴力を受けたという嫌な思い出がたくさんあるらしい。
暴力の残酷さを訴えたいとか、
「鳩」には、「平和」の意味を込めているともインタビューなどで答えている。
レッドクリフ 12

だが、その割にはどうも根っからのアクション好きなんではないだろうか。
それは戦争反対と主張する哲学者や思想家などに、
意外と戦車好きや戦闘機マニアが密かにいたりするのと同じなのではないかと思う。
むしろ、徹底的に暴力を描き、その中でしぶとく生き抜いていくヒーロー的な存在に
何かしら自分の憧れを投影しているかのように思えてならない。
周瑜(トニー・レオン)と孔明(金城武)などについては、
きっと監督自身がスラム街の中で、
虚弱でみじめな自分を忘れるために、
わくわくしながら読んでいた子供の頃の思い入れが、
ストレートに表現されているんだろうと思う。
レッドクリフ 3
しかも超人的に強くて格好いい趙雲子龍などは、
特にジョン・ウー監督のお気に入りなんだろうし、
だから、三国志の後半に登場してくるはずの趙雲と赤壁時代の周瑜が、
本来だったら出会うはずもないのに、一緒になって戦ったりしている。
監督の自分の子供の頃のコンプレックスを昇華させたものが、
『レッドクリフ』なんでしょうね。
そう考えると、意外と暴力好きな矛盾する自分を自重する意識というか、
自戒としてのシンボリックなあらわれが、
やたら出てくる「鳩」の存在なんじゃないかと思う。
レッドクリフ 8
西暦208年、魏呉蜀が争う中国・三国時代。
もうこの舞台設定でなんでもありなんですよ。
別に三国志演義などに気を遣う必要はない。
ただ、赤壁の戦いで基本となる2つのシーンは、当然はずしていないわけで…。
①「10万本の矢」の場面
大切な武器である4万本の矢を持ち去った劉備の責任を問われた孔明は、
わずか20隻の船を藁で覆い尽くし、
あえて濃霧の中を敵船の待つ領域まで漕ぎ出して、
弓矢の一斉攻撃を受けてまんまと10万本の矢を収集する。
レッドクリフ 14
②「曹操軍の2000船にもわたる大船団への火計 」の場面
風向きの変化を計算に入れて連合軍が放った“火の玉攻撃”が、
風に煽られて2000隻を炎で包み込んで行くクライマックス。
これらの非常に有名な場面は、
それこそ子供の頃のジョン・ウー監督そのものが、
自分の目で直に見て確かめたかった場面なのではないかと思う。

結局、100億以上の制作費をかけて、
ジョン・ウー監督は無意識のうちに子供の頃の夢を、
映画というものに体現させたのだ、きっと。
レッドクリフ 1
ちょっとだけ、子供の頃と違うのは、
ジョン・ウー監督がそれなりの大人なわけで、
「女」の存在も映画としての厚みをつけるために、
描きたいという欲にかられたふしがある。
周瑜の妻・小喬(リン・チーリン)が曹操の陣中へ行くエピソードや
曹操軍に潜入した尚香の恋愛とその悲劇が、
彼の「欲」のあらわれなんでしょう。
同時に、そこが脚本の弱さと世間から批評される理由にもなっている。
個人的には、一見脚本上の弱点に見えるところが、
本来描きたかったものであり、魅力なのだと思う。
したがって、
この『レッドクリフ』のⅠとⅡは、
どちらも監督がやりたくてたまらなかったものが、きっちり表現されている作品なのだ。
世の批評家がなんと言おうと、
そして作品の善し悪しよりも、
やりたいことを表現したからいいのだ。

ついでに、それをやり抜いてしまったそのこと自体が実に羨ましい。

ともあれ、春ですね。
みなさんが、新しいそれぞれの場所で良いスタートをきれるように願っています。

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レッドクリフ 2



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