舞台の効果音

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宮藤官九郎4年ぶりの監督作『少年メリケンサック』について。

宮藤官九郎って、希有な才能の持ち主ではある。
この人と同じような感覚の持ち主というのは、いそうでいないじゃないだろうか。
とにかく、
ある一定の題材をお笑いに変える独自の方程式を持っているのではないかと思う。
今回の題材は、パンクロック。
もともとパンクって、反逆と反骨精神の一種の表現みたいなものですが、
『少年メリケンサック』は、どっちかというとマニアックなタイプかな。
ピストルズなど、懐かしいと言えば、懐かしい1980年代の風俗ですね。
少年メリケンサック 2
『少年メリケンサック』では
あの宮崎あおいが中年パンクバンドを相手に、
まぁ見事なほどにいろんな表情を見せてくれる。
アキオ(佐藤浩市)からは
「ウ○コ女!」と言われ続け、
ついでに足蹴にされたうえに、殴られたりもする、
結局、ハルオ(木村祐一)からは、ホントに牛の糞まで顔面にぶつけられてしまう。
バンドの移動の車中では、おっさんたちのオナラに苦しめられ、叫び、泣きわめき、
ぐだぐだに酔っぱらい、メロメロに彼氏にいちゃつく栗田かんな(宮崎あおい)。
そんな演技を嬉々ととして、宮崎あおいはやっている。
しかも、この撮影は昨年の3月17日にクランクインし、5月に撮影終了したという。
あの超フォーマルな『篤姫』の撮影との掛け持ちをしていたわけで、
よくバランスをとってお仕事をしていたもんだと思う。
それとも、いいストレス発散の場になっていたのだろうか。
少年メリケンサック  7
さて、
メイプルレコード会社で新人発掘を担当する栗田かんな(宮崎あおい)は、
契約期限切れ寸前のOL。
新人発掘をする中、ネットでパンクバンド「少年メリケンサック」を発見する。
バンドのサイトをたどって、働き先を訪ねてみると、
そこには五十歳過ぎの男(佐藤浩市)が酔いつぶれていた。
かんなが見たのは、バンドの25年前の映像だったのだ。
その男アキオは、かんなを相手にくだを巻くやらゲロを吐くやら…、
ホントにもう汚いことおびただしい。
でも、会社がバンドの動画を配信すれば、アクセスは急上昇。
しかも、中年バンドとは知らない社長(ユースケ・サンタマリア)は
「少年メリケンサック」のデビューに積極的。
自分の未来を賭けて、かんなは、
4人の中年パンクバンド「少年メリケンサック」とともに、全国ツアーへ!
とまぁ、こんな感じのあらすじ。
少年メリケンサック 5
舞台挨拶などで、「兄弟の愛憎劇をやりたかった」と宮藤監督は語っているが、
もともと彼の手法は、異質なもの同士を組み合わせて起きる笑いの化学変化が持ち味。
三谷幸喜が、ドラマの主人公たちを特殊な「~をせざる得ない」という状況に追い込んで、
笑いをとるのとは、別な道をたどってきている。
とにかく奇想天外な発想には驚くばかりだ。
これまでの作品でも、そんな異質な組み合わせによる「“そんなバカな!”みたいな内容」が
盛りだくさんに入れられている。
少年メリケンサック 6
たとえば、
●祇園の舞妓と野球拳をしたいという夢を追い求めるために
 そこまで阿部サダヲはやってしまうのかという「舞妓Haaaan!!!」

●愛する留美子は抜群の記憶力を持つ中年男の田町と衝突し、時々いれかわってしまう。
 数々の困難を乗り越えるバカカップルに幸あれ!!という「ぼくの魔法使い」

●「タイガー&ドラゴン」にしても、
 長瀬君の落語の世界(江戸時代)と現在進行形の物語が、バカバカしくもリンクする。
ヤクザが落語を真面目に追求するという発想がいい。

●はたまた、キャストの名前に以下のようなアルファベットがついていて、
 A 赤羽伸子(タクシー運転手) - 小泉今日子 B 別所秀樹(振付師) - 及川光博
 C 千倉真紀(脚本家) - 森下愛子      D 土井垣 智(声優) - 松尾スズキ
 E 江本しおり(アナウンサー) - 酒井若菜  F 船越英一郎(俳優) - 船越英一郎
 G 蒲生 忍(マンハッタンのアルバイト) - 塚本高史
 Aから始まる恋愛相関図が複雑に絡み合う「マンハッタンラブストーリー」

●満腹になると周りの人の20年後を予見できるという、変な超能力?を持った塾講師を
 深田恭子が演じた「未来講師めぐる」
少年メリケンサック 10
個人的に思うには宮藤官九郎さんの本当の持ち味は
発想の奇想天外な派手さもさることながら、
本当は地味な根気のいる「緻密さ」なのではないだろうか。
これまでの作品から類推するに、
彼はとりあえずなるべくバカみたいな無謀な設定を
シナリオを作る最初の段階でするんだろうとは思う。
特に、各シーンでやっていた笑いのネタがどこかで、
意味ありげに関連させるということにも、かなり神経を使っている。

たとえば、恋人マサル(勝地涼)の薄っぺらで、無味無臭の歌に辟易して、
自販機で何かを買おうとした時に、
手のひらにあるたくさんの500円玉の山を見つめるかんなのシーンなどは、
まさにクドカンの作戦成功という感じなわけだ。
(500円玉は、おっさんたちが車中でオナラをする度に罰金としてとりあげたもの)
無味無臭のアイドルふうの歌と人間臭いパンクとの対比を
「オナラ」の小ネタの笑いを連続させたことによる着地場所として用意するわけだ。
なるほど、
クドカンの意図的な小ネタの笑いの連続性を利用して、
ゴールを決めるパターンは、よく観ると随所に発見できるのだ。
少年メリケンサック 8
今回ならば、
かんな役の宮崎あおいと社長役のユースケ・サンタマリアとの、やり取りは見事だし、
常に次につながるフリが密かに仕込まれている。
メンバーのアキオ(佐藤浩市)とハルオ(木村祐一)兄弟の青年時代の仲違いは、
今回のドラマの縦軸として上手に伏線もはっていてご立派。
宮藤官九郎のパンクバンド「グループ魂」でドラムを担当している三宅弘城も、
痔もちのドラマー?(こういう細かさがクドカンらしい)として、いい味を引き出した。
また、田口トモロヲ演じるジミーは、
兄弟げんかのもらい事故による言語障害という設定プラス、
本人自身の妙な怪演で変な存在感がある。
しかも、ジミーが歌う「ニューヨークマラソン」の歌詞が
最後にはっきりしてオチになるなんてな技もやっている。

下品であろうとお下劣であろうと、
笑いの小ネタを次々に繰り出しながらやってくるので、
125分間があっという間に過ぎてしまう。
少年メリケンサック 9
ちなみに問題点なのは、
これは宮藤官九郎さんの脚本家としての資質にあるんだろうけれども、
彼の作品を何度も繰り返して観たいとは思えないということが実は気になる。
(不思議なことに、三谷幸喜の作品はものによっては何回か観られる物もある)
何度も笑わせてくれるのはいいけれど、結局何も残らない。
それが「お笑い」の本質なのか、
それとも決定的な何かが欠けているのか…。
そんなことがやたらと気になってしまう。
まさに今回のキャッチコピーの「好きです! パンク! 嘘です!」というような感じ。
『少年メリケンサック』という映画自体が、
一種のパンクロックの変形なのかもしれない。
パンクロックのコンサートで、
むやみやたらに大騒ぎをした後の虚しさと同質の感情と疲労が、
映画館を出た様々な観客たちの顔に浮かんでいるような気がする。

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少年メリケンサック 3





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『ターミネーター サラ・コナー・クロニクルズ』
(Terminator: The Sarah Connor Chronicles 通称『TSCC』)を
今年の1月7日から観ることができるようになった。
この『TSCC』の設定はこんな感じ。

コナー親子が軍事システム「スカイネット」の研究データを破壊して5年。
1997年に起こるはずだった「審判の日」は阻止。
サイバーダイン社の技術者、ダイソンの殺人容疑で
自分たちの素性を隠し、追跡から逃れつつ生活しているジョンとサラの前に、
未来から新たな刺客のターミネーターが現れた。
スカイネットは、彼らを抹殺するつもりなのだ。
しかし、反乱軍からも親子を守るために美少女ターミネーター・キャメロンが
送り込まれていた。
キャメロンから「審判の日」が
2011年に迫っていることを知らされ、再びコナー親子の戦いが始まる。
ターミネーター 14

この古くて新しい『ターミネーターシリーズ』、
アメリカでの視聴率はそこそこあったという。
ともあれ、
『ターミネーター』(The Terminator)がこの世に登場したのは、1984年。
もう25 年も前の昔の話。
ターミネーターことアーノルド・シュワルツェネッガーが、
その筋肉美を見せつけるかのような裸で、
タイムスリップして来るシーンは実に懐かしい。
その彼も、今ではご存じの通りカリフォルニア州知事ですから、
時の経過というのは空恐ろしい。
ターミネーター  6
この25年間に渡って、
『ターミネーター』というある種の世界観を持ったSFが、
意外にもというか、
熱烈に愛され続けてきた。
『T2』・『T3』と時期をおいて発表され、
カリフォルニア州知事が出演していなくても、
『T4』も今年の6月には観ることもできるようだ。

荒唐無稽なSFなのに、
なぜ、この物語は愛されるのか?

とりあえず個人的には、サラ・コナーのモノローグのシーンが好きだ。

『T1』のラストシーンでは…。
サラの目の前には砂漠を貫いて続く果てもない道。
憂いを秘めた横顔を風が駆け抜けていく。
戦いの中で鍛えられたタンクトップからのぞく二の腕。
カイルとの間の息子ジョンを宿したサラは、ジープを走らせながら、
テープに音声を吹き込んで音声日記を作成していく。
死んでしまったカイルの残した言葉と
未来に訪れる「審判の日」を思い浮かべて。

ひとりの女性には背負いきれないほどの悲しみ…
人類の終焉をたった一人の自分が防ごうとしているというどうしようもない不安と
それを思いつつも決然とした覚悟。
そんな諸々の感情が抑制されストイックな感じで表現されている。
ターミネーター 15
『ターミネーター』の各シリーズは、
どれもシュワルツェネッガーなどによるさまざまなターミネーターたちの
ど派手なアクションシーンが目立つ作品だ。
近未来の荒廃した世界で戦闘を繰り返している部分のCGも、
現代でのカーチェイスなどのアクションも
その時々に応じて観客の目を惹くものにはなっている。
ただ、個人的に思うには、
それらのアクション部分は、『ターミネーター』の本質ではないということだ。
ターミネーター 4
やがて来る人類の終末、
ついでに本当は人類の終末でなくてもいいのかもしれないが、
(今の経済不況の発生の仕方とその展開もなんだか人類の終末っぽいけど)
なんらかの「悪夢のような悲劇的な結果」が出現してしまうことを阻止するために、
「孤独な戦いに挑む人間の姿」という設定。
そんな物語のスタイルがいい。
救おうとする者たちからでさえ、非難され追われる孤独な存在。
これこそが『ターミネーター』という物語の本質なのだと思う。
そういう意味で、サラ・コナーという女性のキャラクターは、
それ自体が非常に魅力的な存在だ。
今回は、ハミルトンではなくレナ・ヘディが演じている。
得体の知れぬ不安に耐えているという雰囲気の演技が上手い。
「審判の日」を生き延び、レジスタンスのリーダーとなる息子のジョン・コナーを
守りつつ、常に大人としての決断をくだしていく。
派手なアクションもあるが、そこに重点をおかず、
サラをはじめとするキャラクターたちの心の動きを
丹念に表現しようと試みているのもなかなか。ターミネーター 1
もちろん、
『ターミネーター サラ・コナー・クロニクルズ』には、
キャメロン(サマー・グロー)という美少女?の姿を
したリプログラムド・ターミネーター(TOK715)の存在もある。
2027年の未来からコナー親子を守るため、
未来のジョンにより送り込まれたという設定。
できれば、後半あたりにキャメロンには隠された本来のミッションなり、
本編を揺るがす秘密を担ってくれているといいなぁと思いますね。
それが『T4』につながっていると素晴らしいなぁ。
(ちなみにキャメロンという名前は、ジェームス・キャメロン監督へのオマージュなんだろうか)
ターミネーター 13
その『T4』では、
新しい謎の登場人物マーカスと反乱軍の指導者となったジョン・コナーは
ついに「スカイネット」の核心にたどり着くという。
そこで彼らを待ち受けていたのは、
かつてジョンを抹殺すべく過去にターミネーターを送り込んだ黒幕の正体、
そして人類全ての未来に関わる驚愕の真実だった…らしいのだが…、
さて、どう脚本をまとめているのだろう?
どんな物語のパズルのパーツをあてはめると美しいのだろう?

そんなことを考えながら、
春を待ちましょうか。

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ターミネーター 9

『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』
何と示唆の多い、そして寓話的要素にあふれた映画なんだろう…。
久々に素晴らしい映画だと思う。
きっと子供には分からないタイプの作品だ。

老人福祉施設の階段に
捨てられていた老人のような不気味な赤ん坊。
その赤ん坊の名はベンジャミン・バトン。
80歳の姿で生まれ、若返っていった男。
1918年に生まれ、
しだいに若返りながら死んだ男の数奇な物語。
ベンジャミン・バトン 1
どれだけ心を通わせても、
どれほど深く愛しても、
出会った人々と、同じ歳月を共に生きることができない。
ニューオーリンズで置き去りにされていた赤ん坊は、
黒人女性のクイニーに育てられた。
1930年の感謝祭。
ベンジャミンは少女デイジーと出会い、
ふたりは心を通わせ、ベンジャミンは自身の秘密を明かにした。
そこから二人の愛の物語もはじまる。
ベンジャミン・バトン 5
『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』
いい作品だと思う。
ついにデヴィッド・フィンチャー監督は、傑作をものにした。
そんな感じだ。
皆さんもご存じの通り、原題は、『The Curious Case of Benjamin Button』。
F・スコット・フィッツジェラルドの短編小説集
「ジャズ・エイジの物語」の中にある同名の作品ががもとになっている。

現在、主演のブラッド・ピットは、1963年生まれで46歳、
そして、ケイト・ブランシェットは、1969年生まれの40歳。
10代のデイジーから、老年まで、ケイト・ブランシェットは演じているが、
CGで加工された若々しく艶のある肌やら、死を迎えようとする老女のメイクと、
年齢が変化することに応じたメイクやベースにあるCGも実に見事だった。
ついでに、
杖をたよりにヨタヨタあるく老人のベンジャミン(ブラット・ピット)の
精密な特殊メイクと合成技術は非常に自然に見えて完璧だ。
シーンごとで、時の流れを逆行する「若返り」の表現にも見応えがある。
さすが150億円の制作費も伊達じゃない。
ベンジャミン・バトン 2
ただ、この映画を観た後のさまざまな批評などを読んでいると、
その「若返り」や「恋愛」の側面に重点をおいた感想が多い。
また、何を言いたいのかが分からないという、
ようするにテーマが不明などというのもかなりあって、残念な感じがする。
この映画は、観る側の方に年齢や人生経験もしくはセンスを要求してくる作品だ。
ベンジャミン・バトン 7
なぜなら、
『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』というタイトル通り、
確かに、主人公が人生を逆行していくという設定は荒唐無稽で「数奇」ではある、
だが、そこに散りばめられて描かれている「不条理」・「それぞれの死」・
「夢」・「出会い」・「時間」「老いる悲しみ」・「永遠なるものと瞬間の美しさ」
といったテーマは、荒唐無稽でもなく
「数奇」でもない、
それこそ私たちの人生そのものだからだ。
ベンジャミン・バトン 10
雷に7回撃たれた老人の人生は不条理そのものだし、
最初の友人であるピグミー族の男の孤独は、
誰もが無意識に抱えているものだ。
たびかさなる老人施設の老人たちのそれぞれの死、
育ての親であり、周囲に愛情を注いで生きたクィーニーの死、
本当はアーティストになりたかった船長のマイクの死と
彼の人生を支えた作品としての入れ墨、
ロシアで出会ったエリザベス・アボットが
老境になってドーバー海峡を横断する夢を実現すること、
ボタン工場で財をなし、ベンジャミンを捨てた父トーマス・バトンの死などなど

そのすべてが、私たちのすぐそばにある誰かの人生、
もしくは自分自身に重なってしまう。
ベンジャミン・バトン 12
それにしても、なんと多くのシンボリックなものが
暗号のように込められている作品なのだろう。
それに気がつかなかったり、感じることがなければ感動することもままならない。

作品の冒頭に語られる「時計職人」の話もシンボリックだ。

ある時計職人が戦場で大事な息子を失った。
息子を戦争へ送り出した事への慚愧の思い…。
駅のために、
彼が作り上げた巨大な時計はなんと針が逆に戻るものだった。

人は時として、時を遡りたいと願ったり、
あの時こうしていればという「IF」の念に襲われる。
けれども、針が逆回りする時計を作り上げても、時は戻らない。
本作品の「ベンジャミン・バトン」という存在も、
そういう意味では「逆回りする時計」にすぎないのではないか。
ベンジャミン・バトン 14
また、
作品の中で、何度か登場する「ハチドリ」もシンボリックな意味を背負わされている。
hummimgbirdというぐらい、
絶え間ない羽ばたきをしなければ飛ぶことのできない鳥。
それはまさに必死に「生」をまっとうしようとする人間の姿にも重なる。
映画の中では、人の体から抜け出した魂魄の様に旋回しながら空へ舞っていく。
ベンジャミン・バトン 3
セリフもまた象徴的だ。

「私はベンジャミン・バトン。
とても不思議な人生を送った。
誰もが老いていくのに─私は若返っていくのだ。独りだけ」

「人生は驚きの連続」

「誰もが自分は人と違うと思うもの。
でも行き着く先は同じ。通る道が違うだけよ。」

ベンジャミン・バトン 8

「残念だな、永遠のものがないなんて」
「あるわ」

ケイト・ブランシェットのバレリーナとして、
またダンサーとしての体のラインは、
「儚い永遠と一瞬の美しさ」を言葉以上に表現していた。

たくさんの寓話的なシンボルの意味をこの映画の中からくみ取れなければ
『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』を楽しむことはできないと思う。
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ベンジャミン・バトン 11




ついに第2章の公開ですね。
とうとう成長したカンナがケンヂたちの過去との邂逅を果たすわけだ。
もちろん、
マーク・ボランが率いたT・レックスの曲「20th Century Boy」も、帰ってきた。
20世紀少年7
とりあえず観ちゃいました。
2時間20分は、けっこう長いですね~。
60億円をかけて、おじさん世代の思い出を何度も行き来する映画『20世紀少年』。
今回は、
“血の大みそか”から15年が経った2015年が舞台。

高校生のカンナ(平愛梨)は、
洗脳を目的として造られた施設「ともだちランド」に潜入し、
成績優秀者だけが行くことのできるボーナスステージへ。
そこには、
ケンヂたちの子供時代が。
つまり彼らの1971年のヴァーチャルな世界が存在していた。
いいですね~。
非常にユニークなタイムトラベル的な設定。
物語の筋なんて、基本的にはどうでもいいわけで、
観ているとただひたすらついつい感傷的になってしまう。
20世紀少年  8
しかもカンナがたどり着いた先は、
彼女が会いたくてたまらなかったケンヂおじちゃんの子供部屋。
その頃の遠藤健児くんはまだ6年生。
布団で寝ているケンヂのそばには、少年サンデーや少年マガジンがあり、
携帯ラジオは、FENがつけっぱなしになっているらしく、
バッド・フィンガーの『嵐の恋』がかすかに聞こえてくる。
すやすや寝ているケンヂ。
そんな少年ケンヂを見つめながら、涙ぐむカンナ…。
カンナの落とした涙のひと雫で、
ふと目をさましたケンヂを 
抱きしめて「私があなたを守る」とつぶやく。
20世紀少年 6
カンナ役の平愛梨さんって、3000人の中から選ばれたそうなのだ。
そんなに上手くはないけれども、そこそこ適役だ。
瑞々しくて、
少年ケンヂを見つめる目がなんともしれず切ない感じでいい。
ちょっとだけ柴咲コウっぽい戦う面構えというか、
凛とした雰囲気もそれなりで、
へぇ~、こんな子がいたんだぁという感じではある。
インタビューを受けていたりする素の平愛梨さんは、それほどでもないのだが、
このカンナに扮した平愛梨さんは実に魅力的に撮られている。
堤幸彦監督の力でしょうか。
ともあれヴァーチャルの過去で、
カンナは、かつて事件があった小学校の理科室に行き、
“ともだち”の真相に近づいていく。
20世紀少年 3
ちなみにカンナの「ケンヂおじちゃん」
なんてな声が、自然で清々しかったなぁ。
ケンヂおじちゃんかぁ~。
ところでその主人公「遠藤健児」のモデルは、
かつてフォークソングのスタート時期に活躍した「遠藤賢司」。
長渕剛なんかは、自分のディスクジョッキーで、
「ほそぼそと、ホント生きるか死ぬかの瀬戸際で、
あまりにも無意味な歌を歌っているというタイプの人。
思わせぶりで、何を歌っているのかな?と思ったら、
カレーライスがただ単純に好きというスリーフィンガーでかもしだす歌だった。」
と、話している。
でも、そんなことを言ってはいても、
初期の長渕剛は、遠藤賢司の「カレーライス」という実に暗くしょうもない曲などもひっくるめて、
確実に音楽的には影響受けているのだ。
20世紀少年 1
また、カンナの同級生の小泉響子に扮した木南晴夏もいい。
ちょっとした拾いものかもしれない。
よくぞこのキャラにぴったりのタレントを発見したものだ。
浦沢直樹の漫画のキャラクターとそっくりな「驚き顔」を見ていると、
本来の物語の展開とはまた別に楽しめる。
20世紀少年 9
さぁ、第3章は、どうやら8月に公開予定のようだ。
ケンヂは、どういうわけかスクーターにまたがって北海道を疾走中。
もちろん漫画を読んでしまっている皆さんには、
それがどういう意味なのかも分かっているとは思いますが、よく作られている。
ギターを背中にしょって、
自分の持ち歌を歌いながら第3章に向かっていく。

さて、第2章での表現の仕方で、
ストーリーの展開の仕方が整理されただとか、
結局、漫画をなぞるだけのものだとか、
いろんなお声があるのだが、
世間の批評家があんまり触れていないことの一つに、
「群衆」の描き方のうまさがあると思う。
意外とこいういうことはエキストラにも金はかかるし難しい。
これに関しては、
「ともだち」が権力を手にしたという部分に比例して、
前作よりはるかに進化している。
ついでに言うと、
「群衆」の描き方の進化は、
きっとさらに第3章につながるものなんだと勝手に思ったりもするわけだ。

もし、第3章が映画として成功するならば、
ケンヂのしょぼい歌に、
何万人という群衆が耳を傾け、
歓声をおくるという場面がどれだけ効果的に表現できるかにかかっている。
あの「ウッドストックの伝説」のように。
20世紀少年 5
1969年8月15日(金)から17日(日)までの3日間、
ウッドストック・フェスティバル(Woodstock Music and Art Festival)には、
一種の奇跡が起きていた。
30組以上のロックグループ。
入場者は40万人以上。
当日入場者は20万人を超えると予想していたものの、
ふたを開けてみれば、それをはるかに上回る40万人以上が参加。
ウッドストックを目指すおびただしい数の人また人…。
しかも恐ろしいことに、半数以上が入場料金を払わなかった。
さらにロックにひかれて押し寄せる人々、
人の数がここまで増えるともうそれだけで圧倒的な感動がある。
ロックという旗印のもとに集った40万人の「群衆」の強烈な熱狂!
当時のヒッピー文化の絶頂ともいうべき、
伝説的な野外コンサートだった。

20世紀少年の第3章にも、
そんなウッドストックっぽい「群衆」の熱い奇跡が表現されると、
なんだかちょっと報われるような気がする。
つい感動して、泣いてしまうかもしれない。

とにかく、現在、不況の真っ只中で先行き不透明なこの時代。
苦しみもがく2009年の大人たち。
愚直に、不条理な経済状況に中に置かれて、自分を見失いそうになる大人たち…。

『20世紀少年』は、
そんな彼らへの、
1970年代に子供だった大人たちへのレクイエム(鎮魂歌)になるのではないかと思う。

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20世紀少年

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