舞台の効果音

演劇、ドラマ、映画、効果音、音効、サントラ、サウンドトラック、 プレゼン、劇、学校祭、音楽、BGM、SE、音、曲、学芸会、学園祭、発表会など ドラマについてや場面に応じた音楽などの話題を中心としたブログです。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
『スラムドッグ$ミリオネア(原題:SLUMDOG MILLIONAIRE)』が、
ついに公開されましたね。
(2008年のイギリス映画。
インド人作家のヴィカス・スワラップの
『ぼくと1ルピーの神様』をダニー・ボイルが映画化。)
スラムドックミリオネア 8
ムンバイの汚れた路地を駆け抜ける子供たち。
電車の乗客から金を盗み、
インチキ観光ガイド、
泥棒と売春
兄とみなしごラティカとともに強烈な貧困の中を生き抜いてきた。
餓えと戦い、ゴミと糞にまみれても、明るさと誠実さは失わなかった。
刑事に語る主人公ジャマールの過酷な生い立ち。
なぜ、無学な彼がミリオネアで数々の難問をクリアできたのか。
しだいに、明かされていく彼の人生とそして彼が求めたもの…。
スラムドックミリオネア 7
インドかぁ、懐かしいなぁ…。
昔、インドをひとり旅していたんだよなぁ。
旅の記憶っていうやつは大事だ。

そう、あの時…。
ガンジス河が滔々と流れていた。
熱気とと喧噪のバザールを抜け、
執拗につきまとい続ける物乞いたちの手を振り払うようにして、
ガンガーのほとりに出た。
遠くにカート(沐浴場)が見える。
静かだ。
あれほど騒々しかったオートリキシャの雑音もない。
褐色の肌をした人々は、短い旅の中で鮮烈な生き様を見せつけてくれた。
人はどんな風にしても生きていけるようだ…。
そんなことを思いながら、
リュックにホテルで買ったミネラルウォーターを突っ込んでは、
インドの路地をふらついていたことを思い出しちゃいますね。
5ルピーもあれば、ニューデリーの市内だったらどこにでもいけるし、
ぶらぶら歩いてもそれなりに楽しめる。
時には、スニーカー(運動靴)なのに、靴磨きされそうになったり、
たまに出くわす日本人とも、なんとなく友達になれる。
特にインドに長く滞在していた大阪外語大学の某教授とも知り合って、
インド文学についてのレクチャーをうけるついでに、
いろいろとご馳走になったり…、
旅は出会いですよね。
「インド人にとって、赤痢なんかは風邪みたいなもんです」と
旅の途中で一緒になったアメリカの若者が
ニヤリと笑いながら言っていたのも印象的だった。スラムドックミリオネア
さて、
『スラムドッグ$ミリオネア(原題:SLUMDOG MILLIONAIRE)』
スラム出身のジャマールが、
100ドル札の大統領の名前や、
ピストルの発明者を知っていたのか? 
ミリオネアのクイズと、
警察での尋問の中で語られるジャマールの人生が
オーバーラップするアイディアはいいですね。
さすがアカデミー賞を総なめにしただけのことはある。
スラムドックミリオネア 5
ちなみにインドのテレビ番組って、
どれもこれも踊りの場面が含まれていたような感じがする。
インド映画はもちろんだけれど、
歯磨きのCMでもシタールにあわせてインドの男女のダンスが
無関係にしかもむやみに挿入されていたのがおかしかった。
しかも、テレビで流される映画の字幕スーパーは主に中国語だったし…。
おもしろい国だよなぁ。

スラムドックミリオネア 9
クイズ番組 "Who Wants To Be A Millionaire?" に挑戦したスラム育ちの若者の物語を
監督はどんな思いで取り組んだのだろう。
しかも、主人公は生き別れになった幼なじみの
少女ラティカ(フリーダ・ピント)との再会もこのクイズに賭けているという設定。
監督は
「インドがあってムンバイがここにあって、
という感じで海外の観客に説明するような形で描きたくはなかったんです。
最初からみなさんをスラムにお連れし、
そこに暮らし、縦横無尽に走り抜ける子供たちの視点で
スラムを見てもらえるようにしました。
ただ、スラムを描くからといって観客が“貧困”という点に
とらわれ過ぎないようにもしました。
もちろん、映画の中で貧困は描かれますが、
決してこの映画は貧困をテーマにした作品ではないのです」と語っている。
スラムドックミリオネア 6
貧困で薄汚れ、犯罪が渦巻くスラムの中を瞳を輝かせながら疾走していく子供たち。
そんなシンボリックなシーンを含め、
インドがもっている生命感みたいなものが全編に通じて表現されている。
運命を乗り越え「夢」をつかむ者たちの物語。
結局、
全米でほそぼそと10館のみで公開したこの映画が、
あっという間にアカデミー賞最多8部門を制覇した事実と
スラムドック(負け犬)がミリオネアになっていく映画の構図とが、
なぜか類似しているわけで、不思議な力に満ちた作品と言えるのだろう。

にほんブログ村 テレビブログ テレビドラマへ

スラムドックミリノエア


スポンサーサイト
レッドクリフ 4

再び春は巡ってきて、
『レッドクリフ Part Ⅱ/未来への最終決戦』も4月10日に公開。
赤壁の戦いも、やっとクライマックスに突入するわけで、
孫権軍と劉備軍との連合軍vs曹操の大軍の戦いがダイナミックに描かれる。
いいですね~。
レッドクリフ 7
それにしても、ジョン・ウー監督っていう人は、
この映画で何を伝えたかったのだろう?
ふと思ってしまう。

早くも『レッドクリフ Part Ⅱ/未来への最終決戦』の試写会などを経た人たちから、
さまざまなレビューが寄せられている。
ただ、その多くは映像は素晴らしいものの、
脚本があまりにも弱いという批評が多い。
それは、前作の 『Part Ⅰ』においてもそうだったけれども、
特に今回は散々な言われようだ。
レッドクリフ 6
かつて香港時代に監督したアクション映画でブレイクしたジョン・ウー監督。
アクションシーンにおいて、たとえ暴力的で血なまぐさい場面であっても、
非常に美しく撮影する。
その美意識のために、
「バイオレンスの詩人」と言われていることは周知の事実。
いわゆるジョン・ウーアクション。
彼の作品で多用されたアクション表現のパターンとしてよく挙げられるものは、
・ 両手に銃をもって華麗に立ち回る「二丁拳銃」アクション
・ 戦闘中に飛ぶ白い鳩
・ 同時に拳銃を向け合う2人の人物
・立て続けのカット割りからのスローモーション
そんなことは、多くの人が知っているわけであり、
今回の『レッドクリフ』においても、銃を剣や槍に変え、同じ手法で挑んでいる。
ご本人は、自分は「暴力否定論者」だと語っているし、
スラム街で育った子供の頃に、
まわりから暴力を受けたという嫌な思い出がたくさんあるらしい。
暴力の残酷さを訴えたいとか、
「鳩」には、「平和」の意味を込めているともインタビューなどで答えている。
レッドクリフ 12

だが、その割にはどうも根っからのアクション好きなんではないだろうか。
それは戦争反対と主張する哲学者や思想家などに、
意外と戦車好きや戦闘機マニアが密かにいたりするのと同じなのではないかと思う。
むしろ、徹底的に暴力を描き、その中でしぶとく生き抜いていくヒーロー的な存在に
何かしら自分の憧れを投影しているかのように思えてならない。
周瑜(トニー・レオン)と孔明(金城武)などについては、
きっと監督自身がスラム街の中で、
虚弱でみじめな自分を忘れるために、
わくわくしながら読んでいた子供の頃の思い入れが、
ストレートに表現されているんだろうと思う。
レッドクリフ 3
しかも超人的に強くて格好いい趙雲子龍などは、
特にジョン・ウー監督のお気に入りなんだろうし、
だから、三国志の後半に登場してくるはずの趙雲と赤壁時代の周瑜が、
本来だったら出会うはずもないのに、一緒になって戦ったりしている。
監督の自分の子供の頃のコンプレックスを昇華させたものが、
『レッドクリフ』なんでしょうね。
そう考えると、意外と暴力好きな矛盾する自分を自重する意識というか、
自戒としてのシンボリックなあらわれが、
やたら出てくる「鳩」の存在なんじゃないかと思う。
レッドクリフ 8
西暦208年、魏呉蜀が争う中国・三国時代。
もうこの舞台設定でなんでもありなんですよ。
別に三国志演義などに気を遣う必要はない。
ただ、赤壁の戦いで基本となる2つのシーンは、当然はずしていないわけで…。
①「10万本の矢」の場面
大切な武器である4万本の矢を持ち去った劉備の責任を問われた孔明は、
わずか20隻の船を藁で覆い尽くし、
あえて濃霧の中を敵船の待つ領域まで漕ぎ出して、
弓矢の一斉攻撃を受けてまんまと10万本の矢を収集する。
レッドクリフ 14
②「曹操軍の2000船にもわたる大船団への火計 」の場面
風向きの変化を計算に入れて連合軍が放った“火の玉攻撃”が、
風に煽られて2000隻を炎で包み込んで行くクライマックス。
これらの非常に有名な場面は、
それこそ子供の頃のジョン・ウー監督そのものが、
自分の目で直に見て確かめたかった場面なのではないかと思う。

結局、100億以上の制作費をかけて、
ジョン・ウー監督は無意識のうちに子供の頃の夢を、
映画というものに体現させたのだ、きっと。
レッドクリフ 1
ちょっとだけ、子供の頃と違うのは、
ジョン・ウー監督がそれなりの大人なわけで、
「女」の存在も映画としての厚みをつけるために、
描きたいという欲にかられたふしがある。
周瑜の妻・小喬(リン・チーリン)が曹操の陣中へ行くエピソードや
曹操軍に潜入した尚香の恋愛とその悲劇が、
彼の「欲」のあらわれなんでしょう。
同時に、そこが脚本の弱さと世間から批評される理由にもなっている。
個人的には、一見脚本上の弱点に見えるところが、
本来描きたかったものであり、魅力なのだと思う。
したがって、
この『レッドクリフ』のⅠとⅡは、
どちらも監督がやりたくてたまらなかったものが、きっちり表現されている作品なのだ。
世の批評家がなんと言おうと、
そして作品の善し悪しよりも、
やりたいことを表現したからいいのだ。

ついでに、それをやり抜いてしまったそのこと自体が実に羨ましい。

ともあれ、春ですね。
みなさんが、新しいそれぞれの場所で良いスタートをきれるように願っています。

にほんブログ村 テレビブログ テレビドラマへ

レッドクリフ 2



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。