舞台の効果音

演劇、ドラマ、映画、効果音、音効、サントラ、サウンドトラック、 プレゼン、劇、学校祭、音楽、BGM、SE、音、曲、学芸会、学園祭、発表会など ドラマについてや場面に応じた音楽などの話題を中心としたブログです。

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『スタートレック』が帰ってきた。
もちろん監督は、
「LOST」『クローバーフィールド/HAKAISHA』のJ・J・エイブラムス。
この人は、ホントに今の時代の波に乗っている感じだなぁ。

とにかく「スター・トレック」シリーズは、懐かしい。
もちろん自分だけでなく長い歳月を経て、
世界中にコアなトレッキーたちもいるわけだ。
振り返ってみれば、1966年にオリジナルのTVシリーズがスタートですものね。
もうかれこれ40年以上の歴史があるシリーズ作品群になってしまった。スタートレック 13
そもそもNBCネットワークにおいて
1966年から1969年まで全3シーズンが制作され放送されたとはいうものの、
本当は局の方からも、全く期待されない企画だったというし、
当然ながら、超低予算の中で作品は作られた。
たとえば、スタートレックではおなじみ「転送」なんてなシステムも、
特撮に金をかけられなかったからこそ生まれたアイディアだったというのも、有名な話だ。
そんな低予算だからこそ、
SFにしては珍しいほど、人間的ドラマの部分に演出の重点をおくようになった。
おかげで誕生したカーク船長とスポックとの「人間性」、「論理」、
「感情」などにまつわる会話なんかは、実に良かった。
また、各話ごとに、
「老い」や「時間」、「人種問題」にまつわるテーマなどなど、
けっこう今でも通用するエピソードが成立していたんだよなぁ。
スタートレック 8
日本では、当初『宇宙大作戦』と名付けられて放送。
このかつてのスタートレックの配役は以下の通り

ジェームズ・タイベリアス・カーク、(ウィリアム・シャトナー)
スポック(レナード・ニモイ)。
レナード・マッコイ(ディフォレスト・ケリー)
モンゴメリー・スコット(日本語版ではチャーリー)(ジェームズ・ドゥーハン)
ウフーラ(日本語版ではウラ)(ニシェル・ニコルズ)
ヒカル・スールー(日本語版では加藤)(ジョージ・タケイ)
パベル・チェコフ(ウォルター・ケーニッグ)
スタートレック
これらのスタッフは、いわばシンボリックな国連みたいなもので、
それぞれの代表的な民族のイメージがその役柄に担わされてもいたわけだ。
宇宙船の名は、エンタープライズ号。
アメリカ合衆国主導による明るく脳天気で、
夢のある未来を思い描いて作られて作品でもあった。
(現在の複雑怪奇な国際状況とは雲泥の違いだ)
スタートレック 12
「宇宙、それは、人類に残された最後の開拓地である。
そこには、想像絶する新しい文明、新しい生命が待ち受けているに違いない…」
若山弦蔵さんのオープニングでのナレーションも素敵だった。
そのテレビ画像を食い入るようにして見ていた子供も、
いい大人になってしまっている。
また、ウィリアム・シャトナーやレナード・ニモイなどの
役者たちも老人となってしまった。
いやはや、時の流れは早いもんだ。
ともあれ、
スタートレックの原点の作品は、予算がないため映像的にはしょぼくとも、
その精神は後に巨費を投じて制作された映画版よりも、
内容は芳醇で豊かなものがある。
だからこそStar Trek: TOS(TOS = The Original Seriesの略)と
呼ばれる価値があるのだろうと思う。
スタートレック 10

今回のスタートレックは、エピソード0とでもいうべき作品。
再び、若きカークやスポックが私たちの目の前に登場してくる。

あらすじは…。

幼い頃、惑星連邦軍艦隊の優秀なキャプテンであった父親を
亡くしたジェームズ・T・カーク(クリス・パイン)だが、
父を知る人物からその英雄的な最期を聞かされ、
連邦艦隊への入隊を志願する。
しかし、カークは惑星連邦軍戦艦・USSエンタープライズのクルーとして、
宇宙へ旅立つものの、トラブル続きで、
クルー仲間のスポックから反感を買う…。

いいですね~。
スタートレック 6
JJエイブラムス監督が、スタートレックシリーズの最新エピソードを
あえて描こうとしなかったところに意味がある。
当然、原点であるテレビシリーズスタート前夜の物語から始まったということは、
新たな「スタートレック」を
これから先も次々と制作していく意図が背景にあるのだろう。

建造中の巨大な宇宙船エンタープライズ号を
見上げている若き日のカークという今回の映像がとてつもなくいい。
さまざまな物語を予感させる素敵なワンシーンだと思う。

原点の精神をふまえつつ、
まったく別の物語が今始まった。

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スタートレック 20




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『CASSHERN』の紀里谷和明監督が、
5年ぶりに送り出す監督第2作目は『GOEMON』。
ということで、すでに5月1日に公開されていますね~。
ご覧になった方も多いのではないかと思います。
goemon 6
豪華な役者たちと過剰なまでに手の込んだCG。
なにせ、あの紀里谷監督ですからね。
先日、あるインタビューの中で、こんなことを監督は語っていました。
「『CASSHERN』が最左翼だったら『GOEMON』は最右翼。
今回はジェームズ・キャメロン的なエンターテインメントで、
ほんとにみんなが分かる作品です。
『CASSHERN』では“分からない”という人たちがいたので、
そういう人たちをなくそうという意識は大きかったです。」と。
goemon 3
監督が自ら言っていた観客にとって“分からない”作品である『CASSHERN』は、
冗談抜きにホントに心底わけのわからない作品でした。
ただ、映像に関してはとんでもなく凝っていて、
圧倒的な独自の世界をCGを利用してこんなにも描けるのかと
驚かされたものでした。
紀里谷監督は、実に映像面に関して突出した才能を持ち合わせているんでしょう。

ただ、これまでの作品やインタビューなどを総合的に考えると、
紀里谷監督って、やっぱりバランスの悪い人なんではないかと思う。
自分は映像のみにして、
脚本や編集、演技指導などは他の頼りになる相棒(専門家)に
任せきってしまえばとも思うのだけれども、
全部ご自分でやろうとするから、逆に歪みがでてしまう。
goemon 5
というわけで、今回の『GOEMON』の物語は、
自由を求め自分の運命と闘う五右衛門、
侍になることを願いながら皮肉な運命を辿る霧隠才蔵、
権力欲に燃え闇に墜ちていく豊臣秀吉、
それぞれが、
織田信長暗殺の秘密が封印された南蛮渡来の箱を巡って運命は変化して行くというもの。
goemon 4
「世界を創造したい、という欲求があるんです。
今は、ですが。ちょっと“神コンプレックス”かもしれないんですけど。
映画を創るときは、極端な話、空のデザインから始まっちゃいますからね。」
と、話す紀里谷監督ではあるが、この言葉も彼の性質をよく表してる。
撮影スタッフや役者らの意見も踏まえながら、
総合的に作品をつくればいいものを、
欲張りな紀里谷監督は一人何役もこなしてやってしまうから、
どんどん勝手な思い込みと歪みが作品に反映されてしまう。
それこそ神のごとく、すべて自分でやってしまうわけだ。
きっとかなり自信家なのでしょうし、
自分のセンスからちょっとでもはずれると許せないのかもしれない。
残念だなぁ。
goemon 7

ただ、今回の『GOEMON』は、「意外にいい」という
感想を述べられる方も多い。
なにせ比較しているものが前作の『CASSHERN』なんで、
はじめっから期待していない観客にしてみれば当然こういう評価になるのでしょう。
また、実際にわかりやすい筋立てにはなっている。
(ただ、映像の緻密さに比べてなんと貧相なものであることか)
goemon 2
「もっと人間ドラマ、もっと恋愛をやるかもしれない。
そして英語劇ですね。
というのも今、製作費が限界にきてて、
これ以上のバジェットを求めるならマーケットを
世界に拡大していくしかないんです。
でも、もし日本で撮るなら、カルマ(輪廻転生)を
テーマにしたものをやってみたいなと思います」
これは、今後についての方向性を監督が話した言葉ではあるが、
やっぱりそういうのって、監督自身が自分をきちんと認識していないんですよ。
ムリだろうなぁ
特にこの人にとっては、「人間ドラマ」はやはり似合わないのではないかと思う。
監督本人がある意味人間臭くない人だからしょうがない。
前回の離婚体験みたいな人間っぽい体験の絶対量がきっと少ないんですよ、きっと。

とにかく、とんでもないほどの映像を生み出す才能という武器をもっているのだから、
できれば「輪廻転生」にまつわる映像に対して、
紀里谷監督が関わると、
かなり面白いものになるんじゃないかと思う。
今の日本では、このようなタイプのイメージの限界を超えられる人は何人かいるけれども、
紀里谷監督はその最有力候補。
もちろん、脚本は他のプロにまかせて、
なんだけれども…、できるかなぁ…、
紀里谷監督の映像に対する才能を無駄に消耗するのは、
もったいない。
彼の人間的な成長が必要なのかも。
そして、
彼のそばに優れた参謀がつくことを願うばかりだ。

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goemon 1




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