舞台の効果音

演劇、ドラマ、映画、効果音、音効、サントラ、サウンドトラック、 プレゼン、劇、学校祭、音楽、BGM、SE、音、曲、学芸会、学園祭、発表会など ドラマについてや場面に応じた音楽などの話題を中心としたブログです。

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男は、鞘の浦の海を見つめながら、
ひたすら自分を追い込んでいた。
ふだんの愛想のいい笑顔は消え、
男は、不機嫌きわまりない表情で、
タバコの煙をくゆらせていた。
物作りの本質になるイメージを決める最初のステップ、
焦り、不安…、頭の中に去来するさまざまに分岐するまだ見ぬ物語、
新作「崖の上のポニョ」のイメージを固める孤独な作業…。
今なお最前線で原作、脚本、監督をこなす67才、宮崎駿。
崖の上のポニョ2
かつて、
2ヶ月間滞在したことのある瀬戸内海の福山市鞆の浦のそばにある知人の家に、
再び、2006年の夏にたった一人でこもり、
必死に自分を追い込んでいる姿が放送されていた。
NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀:宮崎駿SP」
(2007年3月27日放送)での一コマだ。
新しい何かを生み出さなくてはならない瀬戸際に置かれて、
形振り構わない宮崎さんの厳しい表情がいい。
それにしても、
2004年の『ハウルの動く城』からもう4年の歳月が流れた。
「紙に描いて動かすのがアニメーションの根源。そこに戻ろうと思う。
もう一遍、自分たちでオールを漕ぎ、風に帆を上げて海を渡る。
とにかく鉛筆で描く」という宮崎さんの方針のもと、
古くて新しい表現を模索しながら、
101分の作品はついに完成した。
崖の上のポニョ1
「精度を上げた爛熟から素朴へ、素朴なアニメーションに舵を切りたい。」
というそのために、
100名を越えるアニメーターたちがアニメーション作業をする前に行う、
監督の準備。
その段階で、すでに途方もない仕事だったのではないかと思う。
核となるイメージボード約50枚の制作と、
基本的な脚本のイメージを考える果てしのない長い長い道のり。
「プロフェッショナル 宮崎駿SP」での映像を改めてチェックしてみると、
これは実に興味深い。(youtubeでも見ることが可能です)
2006年の5月段階で、
例えば、オープニングのシーンについては、
観客からすると物語に馴染みやすい「宗介側の視点」から入るのがいいか、
違和感を観客に与えがちなポニョのいる「海の底のシーン」からがいいか?
と宮崎さんは悩み続けていたのも印象的だった。
もちろん映画は完成しているので、結論はでているわけで、
結局、あれほどリスキーと言っていた「海のシーン」から、美しくスタートしていた。
実に宮崎さんらしい選択の仕方だと思う。
崖の上のポニョ10
また、完成した映画では、
主人公の少女ポニョが一途な想いを募らせて、
荒れ狂う波の上を全速力で走って走って跳躍し、
どこまでも少年を追いかける場面が、
かなりインパクトの強いシーンとなって描かれている。
そんな場面も、
すでに2年前の宮崎さんのイメージボードの一つとして存在していた。
妖怪めいた不気味なポニョが、激しく逆巻く荒波の頂点に立っている1枚の絵。
宮崎さんは「ポニョ来る」と題して、壁に貼ってニヤニヤしていた。
と同時、スタッフに「どうやって描いていいかわからないだろ?(笑)
でも、この映画の本質はこの1枚にある。」と語っていた。
とりあえず、
イメージする力を長年に渡って鍛え上げてきた男の優れた感覚というところだろうか。
というわけで、宮崎さんから観客へのメッセージを載せておきます。
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■宮崎駿さんからのメッセージ

海辺の小さな町、
海に棲むさかなの子ポニョが、
人間の宗介と一緒に生きたいと
我儘をつらぬき通す物語。
同時に、5才の宗介が
約束を守りぬく物語でもある。
アンデルセンの「人魚姫」を
今日の日本に舞台を移し、
キリスト教色を払拭して、
幼い子供達の愛と冒険を描く。
海辺の小さな町と崖の上の一軒家。
少ない登場人物。
いきもののような海。
魔法が平然と姿を現す世界。
誰もが意識下深くに持つ内なる海と、
波立つ外なる海洋が通じあう。
そのために、空間をデフォルメし、
絵柄を大胆にデフォルメして、
海を背景ではなく
主要な登場人物としてアニメートする。
少年と少女、愛と責任、海と生命、
これ等初源に属するものをためらわずに描いて、
神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである。
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崖の上のポニョ3
映画をご覧になった方は、きっとお分かりだと思うが、
子供にとっては、
相変わらずワクワクさせるような素敵なファンタジーに仕上がっている。
そして、大人にとっては、
そこに描かれている内容には、
ある種のシンボリックで対比的な比喩がちりばめられているような作品になっている。
(でも、ちょっと露骨なのかもしれない。)

たとえば、象徴的なセリフとして、
ポニョの「宗介、好き!」と宗介の「ぼくが守ってあげるね」は、
ポニョの「愛」と宗介の「責任」のメタファー

老人施設と隣り合わせの保育所という設定も、
老いのため死に近い老婆たちと生まれて間もない子供たちということで、
「死」と「生」のシンボルだし、

美しい海底とゴミの海、
海と地上、
無垢な自然と汚れた人間の行為、
「純粋な自然」と「不純な人工」とのベタベタな比喩でもある。

ポニョの一種の進化の仕方は
人面魚→鳥ともつかぬ妖怪的な姿→人間になり、
その上、しだいに「母性」を学ぶ方向へ描かれる。
また同じく、母親のリサと海のグランマンマーレは当然ながら、母性の象徴。
そして、
宗介がポニョと一緒に、水没した街をポンポン船に乗って、
母であるリサを探しに行くシーンなどは非常にシンボリックだ。
二人は、手漕ぎの船に乗った赤ちゃんを抱えた若夫婦に出会う。
ポニョが赤ちゃんにと差し出したスープを、母親が代わりに飲んでしまうくだりが、
かなり意図的なシーンとなっている。
母が飲んだスープがやがて乳となって、
赤ちゃんを生かすという命の流れみたいなものを教えさとす部分に使われている。
崖の上のポニョ5
ついでに、これは邪推かもしれないが、
いつも家を不在にすることが多い内航貨物船の船長である父の耕一は、
アニメの仕事に没頭して、
家庭をかえりみなかった宮崎駿さん本人の象徴のようにも感じられる。
そうなると、宗介については、
息子の宮崎吾朗さんのイメージも重ねているのかと思ってしまう。
ただ、『崖の上のポニョ』の制作開始当時は、
ちょうど父の駿氏の反対に逆らって監督をした吾朗さんの『ゲド戦記』が
アップした時でもあり、父子の関係が最悪であったことを踏まえて考えると複雑な気分になる。
崖の上のポニョ4
そんな比喩やらメタファーなどは、言い始めたらきりがない。
そこには、やっぱり宮崎さんの年齢が67才になってきていることが、
それなりの影響を与えているのではないかと思う。
もともと老婆好き?で、数々の作品の脇役として配置してきたけれども、
最近、「ハウルの城」などでもそうだが、
しだいに年老いた者の視点に比重がかかってきているようにも思える。
さらに、
ジブリお得意の「空を飛ぶ」シーンは一切出さず、
これまで避けてきた波の表現を手書きで行うという方向にチャレンジした。
これだけでも、相当恐ろしいことではある。
とにかく大人が真剣にやり遂げて、本当に素敵な作品になった。

ただ、難を言うなら、
ポニョの父であるフジモト(所ジョージ)の設定の説明が弱いために、
物語本体の世界観が不透明になってしまっているということだ。
そういう意味では、物語としてちょっと安易というか、中途半端な部分を残してしまった。

そうは言っても、
2年前、鞘の浦の海を見つめていた男の頭脳に、
今回のイメージ豊かな『崖の上のポニョ』のほとんどのシーンがあったと思うと、
あらためて宮崎駿という男の凄みを感じてしまう。
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崖の上のポニョ8

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コメント
はじめまして
ポニョ検索で寄らせてもらいました。心癒される作品でしたね。どちらかというと私は素に見たままに感動した方ですが、ブログ主さんが書かれているように、後から考えてみると『シンボリックで対比的な比喩』が随所にあったように思えます。さすがは巨匠・宮崎監督。監督がテレビ出演されていることを全く知りませんでした。ポニョを作り出した監督の生の姿を見てみたいですので、再放送があればぜひ一度見てみたいです。こちらは他の記事も面白そうですね。良ければコメントがてらまた寄らせてください!それでは!
2008/07/22(火) 14:17:08 | URL | じゅんたろう #-[ 編集]
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