舞台の効果音

演劇、ドラマ、映画、効果音、音効、サントラ、サウンドトラック、 プレゼン、劇、学校祭、音楽、BGM、SE、音、曲、学芸会、学園祭、発表会など ドラマについてや場面に応じた音楽などの話題を中心としたブログです。

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koyuki 6

あまりにも忙しくてドラマも落ち着いて観るヒマもない。
いやはや、
せいぜい観ることができたのは、
先日の日曜日の「佐々木夫妻の仁義なき戦い」第2話ぐらいのものだった。
それにしても、
この前の日曜日(2008年1月27日)は、
なんだか妙な一日だった。
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昼、大阪国際女子マラソンでは、
「トラックの女王」と呼ばれた福士加代子が、
失速し、ふらふらの状態でゴールに辿り着いて、
阿鼻叫喚の中マラソンでの北京五輪への夢は絶たれ、

夕方になると、あのお騒がせの朝青龍がとりあえず白鳳に敗れて優勝を逃し、
歓喜の座布団が舞った。

さらには、夜、橋下弁護士が大阪知事選で勝利し、
当たり前のように、
その直後から各局の報道番組に引っ張りだことあいなった。

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それぞれ、本人たちの人生にとっては大変なドラマの一断面だったに違いないが、
それはまた、実にテレビ的な映像の世界の連続だったようにも思う。
テレビのドラマ制作班のディレクターたちが、
智恵を絞って生み出した映像よりも、やたらと演出がかった世界でもあった。
すべて現実であり、事実の映像なのだけれども、
あまりにもテレビ的な切り取り方で、視聴者に届けられてきている。

これらの情報をすべてテレビを通して観ている訳だから、
「テレビ的」なるものを手にしてしまうのも当然なのだが、
そんなことに対して自分たちは、けっこう麻痺しているのではないかとも思う。
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例えば、福士加代子のマラソンの場合。

事前の自信満々のインタビューがすでにフリとなっていたあのレース。
彼女にとって、初マラソンだった大阪国際女子マラソン、
大方の予想通りに圧倒的に他の選手たちを引き離してトップで快走したレース序盤。
しかし、レース終盤になって、
彼女はマラソンという未知の世界の落とし穴にはまっていく…。
スタミナが切れ、しだいにスピードは落ち、さらには足も痙攣しはじめた。
後続の選手たちもぐんぐん追い着き、彼女を抜いていく、
苦痛にゆがむ顔、
ゆっくりジョギングせざるえない福士に、
ワコールの永山忠幸監督が「もうやめてもいいよ」と叫びながら併走。
しかし、監督の制止を振り切るように走り続ける福士。
そして、最初の転倒、
消耗する体力、
福士はゴール直前で計4回もさらに転倒し、
その場面もしっかりとTV中継でも映し出された。
競技場で大歓声に迎えられつつも、
スタンドで観戦していた母は、福士の走る姿を正視できない。
ゴール直前にしても、なお転倒し、立ち上がる姿も痛々しい、
だが、その表情はあたかも照れ笑いしているようにも見えるような複雑のものだった。
トラックの女王としての誇りがくだかれ、
屈辱の中にあってもゴールを目指すアスリート…。

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koyuki 8

この福士にまつわる映像をなんの不思議もなくつい受け取ってしまうのだが、
トップで走っていた時ならともかく、
終盤になってどんどん他の選手に抜かれ、
10位以下になっても福士の映像は流れ続けた。
また、別カメラで永山監督のカットも用意できるようにしていた。
はたまた、客席の福士さんの母親用のカメラもセットし、
トップでゴールして喜ぶ母の絵柄でも、
そうでない場合の悲しむ母という図でも対応できるようにしていた。
ようするにシナリオのないマラソンというドラマにおいて、
どんな展開になっても対応し、
その演出を効果的にできるようにするためのカメラワークを可能にしていたわけだ。
それを私たちは、不自然に感じなくなってしまっている。

きっと中継を請け負っていたディレクターは、
福士の30km近くでスピードダウンしたあたりで、
どう演出するかをしたたかに決めていたのでないかと思う。



テレビは、ある種の嘘で満ちている。
そんなことを的確に教えてくれるのが、
新潮新書の「テレビの嘘を見破る」(今野 勉 著)。
※今野勉(コンノ・ツトム)
1936(昭和11)年、秋田県生まれ。演出・脚本家。1959年東北大学文学部を卒業、TBS入社。現在テレビマンユニオン取締役副会長、武蔵野美術大学映像学科教授。手掛けたドキュメンタリーは「遠くへ行きたい」など多数。長野冬季五輪の開・閉会式プロデューサーも務めた。

これは、実に面白い本です。
テレビ制作の裏側について書かれた書籍の中でも、
群を抜いた品格と裏打ちされた実力みたいなものがある。
テレビの嘘について興味がある方は、ぜひお読みください。

初日に釣れたのに、最終日に釣れたとして盛り上げる釣り番組。
新郎新婦はニセ物、村人が総出で演技する山あいの村の婚礼シーン。
養蚕農家の生活苦を、擬似家族が訴えたドキュメンタリー作品――。
視聴者を引きつけようと作り手が繰り出す、見せるための演出、やむを得ない工夫。
いったいどこまでが事実で、どこからが虚構なのか? 
さまざまな嘘の実例を繙くことで明らかになる、テレビ的「事実」のつくられ方。
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■目次

第1章 テレビ的「事実」はこうして作られる
(作り手の工夫はどこまで許せる?;なぜ幻の魚は旅の最終日に釣れるのか ほか)
第2章 ドキュメンタリーとフィクションの境界線
(「事実」と「再現された事実」;再現映像はゴールデンタイムの主役 ほか)
第3章 NHKムスタン事件は「やらせ」だったのか
(犯罪と指弾された「内輪の常識」;「やらせ」とは何か ほか)
第4章 テレビの文法
(いち早く「再現」を認めた欧米;「あるがままの事実」と「もうひとつの事実」 ほか)


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■立ち読み用の文章から
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ある秘境もののテレビ・ドキュメンタリーの記者発表で、ディレクターが胸を張って言いました。
「うそをついていないのが誇りです」
 それを聞いて違和感を感じたある記者がコラムに書きました。
〈苦難の日々を思い起こしての発言と推測するが、視聴者の立場で聞けばずれている。ドキュメンタリーで、ありのままの映像を放送するのは当たり前のことではないか。テレビ現場の非常識が透けて見えてしまったことを残念に思う〉(朝日新聞'02・11・29「サブch.」)
 たいていの読者(視聴者)は、この記者の言葉に共感を覚えるのではないでしょうか。ドキュメンタリーやニュースや情報番組など、事実を伝えようとするテレビ番組でありのままの映像を放送するのは、当然のことではないか、と。
 この記者は、新聞社でも数十年前には、たとえば大雪の写真で雪がしっかり写っていない場合、ペンで書き加えたりしていた例をあげて、そうしたやらせ写真が新聞社の常識とされていたことを認めたうえで、こうつづけています。
〈極端な例ではあるが、「作っても許される」という感覚があったのだろう。
 今はこんなことをする記者はいない。でもテレビ界では「良い映像のためなら多少作っても」という感覚が残ってはいないだろうか〉
 ディレクターの「うそをついていない」という発言は、日頃の秘境もののドキュメンタリー番組が、展開を盛りあげるために、撮影した映像を劇的に再構成し、物語化しているという風潮を意識してのものでしょう。
 その意味で、たしかに「テレビ現場の非常識が透けて見えてしまっ」ています。
 では、うそをついていないディレクターの番組は、記者のいうありのままの映像になっているでしょうか。
 答えはノーです。
 ドキュメンタリー番組やニュース情報番組など、事実を伝える番組といえども、映像というものには、その撮影の段階で、あるいは編集の段階で、さまざまな「工夫」が施されています。それは作り手側からいわせれば、諸事情からの「やむをえない工夫」であったり、「見せるための工夫」であったりします。
 しかしそれは、視聴者側から見れば「作為」です。
 こうした「作為=工夫」によって作られた映像は、テレビでは、実は、日常的なものなのです。視聴者の皆さんは、一日に何十回となくそうした映像を見ているはずです。
 つまり多少なら作っても許されるという感覚は、テレビ界の常識になっているのです。
 テレビ界の常識と視聴者の常識はたしかにずれています。
 いったいどのような作為=工夫がなされているのか、思いつくままに、紹介してみようと思います。
 視聴者の皆さんの中には、すでにそうした作為=工夫を見破っている人もおられるでしょう。見破ったうえで許している場合もあるでしょうし、許せないと怒っている人もいるでしょう。
 あるいは、はじめて知って、許せないと怒りだす人がいるかもしれません。
 いずれにせよ、次に紹介する作為=工夫の諸例を、視聴者の皆さんは見破っていますか(見破れますか)、そして許せますか。
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コメント

はじめまして。
読んでみたくなりました。
テレビって報道ニュースでもなにやら1社がこうと
動くと他社も同じ切り口で情けないですね。
お前ら、芸能レポーターかって言いたくなる(笑)
昼ごろの民放番組(名?)でヒラリー候補が中道
イメージ演出に躍起になってるってのは久々に
偉い仕事と思った。
某公共放送の毎回同じコメントが寒かった。
また寄らせてもらいます。

2008/02/03(日) 20:59:19 | URL | 銀河系一朗 #YS3Z5NF6[ 編集]
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