
1915年に、その男は産声をあげた。
その男は、女系家族の呉服問屋にやっと生まれた跡取り息子だった。
新しいおもちゃが大好きだったし、
家族旅行では、姉に抱かれながら、
列車から見える次々に変化する新しい風景に見とれていたもんだった。
そんな女の多い家族の中でぬくぬくとした坊ちゃん生活が、
永遠に続くはずだった。
なのに幼い頃に父は他界。
借金と負債、
呉服問屋の倒産。
嘲笑と裏切り、
不信感と
絶えない不安、
彼は母とともに転々とせざる得なかった。
そんな旅の中で、痛めつけられながら、
いつしか男は大人になっていた。
もちろんその男は、その頃からもうタバコが大好きでしょうがなかったし、
ついでに海外から渡ってきたアニメ映画と出逢ってからというものは、
その絶え間ない変化に富んだ魅力的な映像にいつも見とれていたもんだった。
コネを使ってJ・Oスタジオにもぐりこんで、創作の日々。
アニメをやろうと思っていたのに、
結局、実写の助監督として、作品を創り上げていた。
彼にとっての青春のだった。

しかし、
戦争、
召集令状、
玉音放送、
終戦…。
戦時の悲惨さを見つめながら、
時の流れは、男をさらに大人にしていた。
タバコの煙をくゆらせながら、ファインダーを覗き、
新しい映像を自らの力で生み出そうと必死になっていた。
自分の才能を信じていたし、
自分には新しい何かをする力が与えられていると思っていた。
そして、なによりも映画を作ることが自分の天職だと感じていた。
ある日、東宝の撮影所でひとりの女性に出会った。
「こんな展開はないと思う。ここの台詞も直した方がいいわ」
勝ち気でまさに男勝り、はっきりとものを言う女だった。
自分の手がけた脚本に、強烈な文句を言ってのけた女だった。
しかも腹の立つことに、その女の文句はすべて正解だった。
この男にとって、初めて自分より才能のある人間を見たという衝撃は深かった。
その女の名は、茂木由美子。
東宝で製作助手をしていた彼女は、
徹底的にその男の作品の校正をした。
校正だけでなく、あまつさえ内容にも口をはさんできた。
変だと思ったことは、
言わずにいられない才気走ったひとりの女…。
知らず知らずのうちに、
二人で脚本を書くようになっていた。
そして、完成したはじめての長編実写映画。
二人の共同のペンネームであったはずの「和田夏十」は、
いつしか彼女自身をあらわすように変化していった。
その女の言語感覚と洞察力はずば抜けていた上に、
生意気で、
さらに悔しいことにはちょっといい女だった。
目が大きくて、笑顔がチャーミングだった。
やがて…、
気がつけば男は咥えタバコをぷるぷる振るわせながら、
やや緊張気味でいつになく顔に汗をかきつつ、
彼女にプロポーズをしていた。
男の名は、市川崑。
ヘビースモーカーで、92才の生涯を通して現役監督として生きた男だった。
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日本アカデミー賞の際に、
「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」で
最優秀女優賞を受賞した樹木希林が
「映画を愛し、日本映画を支えてきた市川崑監督がおとつい(13日)、
92歳で亡くなりました。
80本目の映画を撮りたいとおっしゃっていましたが、
その80本目は、
後に続く映画人に任せるよ、という感じで、
静かに眠っているようでした」と語っていた。
2月は、とにかく大事な人が逝ってしまう。
市川崑監督の作品については、人によって好き嫌いが大きく分かれるように思える。
それでも、92才で倒れるまで現役で監督生活をしたという事実だけでも充分だし、
その道のりに生み出された映画の総数79本は、圧倒的だ。
独特の映像スタイルを追求し、
常に新しいものを発見しようしていた姿は尊敬に値する。
不運な幼少時代から仕事をはじめる時期までの心の痛みを覆い隠して、
映像の世界の中で実験的な試みをさらに傷つきながらやり抜いた人でもあった。
死ぬ前からすでに伝説的な人間になってきていた。
そんな市川崑を40年近くにわたって市川の生活を支えるかたわら、
脚本家「和田夏十」(わだなっと)として、
その生涯でほとんどの市川作品の脚本も手がけた由美子さんの存在が
大きいのだと思う。

たとえば、
『東京オリンピック』を作り上げたのは、市川崑さんが50才の時だった。
この時点までに、彼は48作品もの映画を完成させてきていた超ベテラン。
それでも、
スポーツとはまったく無縁だった市川崑監督は、
和田夏十と谷川俊太郎の協力を得て、
記録映画なのに、通常の映画以上に本格的な脚本を作り、
すじがきのないドラマがおきる本番のオリンピックにのぞんでいた。
この映像に関しては、
今もYoutubeでそのオープニングの部分は、
簡単に観るができるのでご覧いただきたい。
きっとその一部分だけでも、記録映画?『東京オリンピック』が、
発表当時に「芸術か記録か」という論争を
引き起こすまでになったのもよく分かるのではないかと思う。
市川崑と和田夏十ペアは、
聖火が東京にたどりつくまでの過程を描く中、
意図的に、
この時代の戦後から復興した日本にとっての
「オリンピック」の意味をあえて凝縮させていた。

「脚本の才能ではとても妻に及ばない」と、市川崑監督はよく語っていた。
それほどの女性だったのだ。
自分の作品が賞賛されると、
「それは、ぜんぶ和田夏十さんのおかげです」と、
インタビューに答えるのが常だった。
これは、謙遜でもなく、きっと事実なんだと思う。
彼にとっての精神的な支柱、それが彼女だった。
彼女が脚本を書こうと書くまいと、
和田夏十の名は、全ての市川作品にクレジットされている。
後年、18年に渡る闘病生活においても、
市川崑監督にさまざまなアドバイスをして、
和田風の脚本を書かせていたという。
和田夏十さんは1983年に亡くなられている。
残念なことだ。

その後、
谷川俊太郎は、彼女の死を惜しんで、「和田夏十の本」を上梓しているが、
そこにはいかに彼女が優れた才能の持ち主であったかということが良く分かる。
彼女が市川崑にとっていかに大きな存在であったことか。

2006年に、
かつて角川映画として1976年に制作した『犬神家の一族』を
あらためてリメイクしている。
知り合いのプロの映画評論家が、
「石坂浩二もいい加減年取ってきてるんだし、なんでそんな駄作を作るんだ」
と批判していたもんだった。
自分自身も、
たしかに新しいもの好きの市川崑監督が
なぜリメイクをするのかということについては不思議だった。
ただ、これもまた勝手な想像だが、
市川崑監督は、かつて夏十と一緒に作った名作「ビルマの竪琴」も
自分でリメイクしている。
その制作は、和田夏十の死の直後だった。
市川崑監督は、もしかすると、
映画を作ることで、死んだ「和田夏十」に会おうとしていたのではないか。
映画を制作している中で、
彼女の声が聞こえてきていたのではないか。
「犬神家の一族」についても、角川サイドの思惑はあるものの、
市川崑監督にとっては妻との闘病生活から生まれた作品であり、
その思い出の何かを追体験しようとしていた形跡があるのではないかと思う。
また、あの犬神家の家族構成は、市川監督の幼少時の家庭環境にもダブルものがある。
市川監督は、失ったものに出会いたくてたまらなかったのではないだろうか。

そんな彼の姿をドキュメントとして映画に残したのが、
岩井俊二監督の「市川崑物語」。
いかに岩井さんが市川監督を畏敬の念で見つめていたかが
如実に感じられる作品になっている。
とにかく「犬神家の一族」は、実に私的な意味を持つ作品なのだと思う。

あぁ、いい爺さんが死んじゃったなぁ…。
「木枯らし紋次郎」という1972年に作られたテレビ作品がある。
「市川崑劇場」と銘打たれ、
市川崑監督は監修をつとめ、第1シリーズの1話 - 3話・18話では演出もしている。
この当時としては、実にリアルな股旅物だった。
当時、新人だった中村敦夫が主演し、
口に長い楊子をくわえて、
「あっしには、関わりのねぇこって」などという台詞が流行語までにもなった。
孤独で、あてのない旅を続け、本来的には人と関わりたくないのだが、
行き先々で誰かを助けるために事件に巻き込まれていく「木枯らし紋次郎」
この主題歌の歌詞を和田夏十が書き、
曲は小室等がつけ、上條 恒彦が歌ってヒットした。
曲名は「だれかが風の中に」。
これも自分の適当な推測なのだが、
今、市川監督が逝ってしまってから、この歌詞を読むと、
これは、和田夏十(市川由美子)さんから市川崑監督へのラブソングであることが分かる。
まちがいなく、木枯らし紋次郎のイメージを市川監督に重ねているのだ。
紋次郎の楊子のかわりに、タバコをくわえ続ける市川崑。
歌詞の1番は、市川崑監督の生い立ちを語り、
歌詞の2番では、長い映画制作の中で、彼が戦いながら生きてきたことを表現している。
しかも、「風の中で待っている」女性は、
もちろん自分自身(和田夏十)なのだ。
こんなに強烈な個人にあてたラブソングはないのではないか?
以下、その歌詞をあらためて読んでいただきたい。

(Youtubeでも、「だれかが風の中で」で検索すると聴くことができます)
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「だれかが風の中で」
作詞 和田夏十 作曲 小室等
どこかで だれかが
きっと 待っていてくれる
雲は焼け 道は乾き
陽はいつまでも 沈まない
こころは むかし死んだ
ほほえみには 会ったこともない
きのうなんか 知らない
きょうは 旅をひとり
けれども どこかで
おまえは 待っていてくれる
きっと おまえは
風の中で 待っている
どこかで だれかが
きっと 待っていてくれる
血は流れ 皮は裂ける
痛みは 生きているしるしだ
いくつ 峠をこえた
どこにも ふるさとはない
泣くやつは だれだ
このうえ 何がほしい
けれども どこかで
おまえは 待っていてくれる
きっと おまえは
風の中で 待っている
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今、
市川崑監督は天空で25年ぶりに
待ってくれていた和田夏十さんに会っていることだろう。
ご冥福を祈ります。





木枯紋次郎・・・残念ながら見たこと無いなー
神戸に住んでたときサンテレビで再放送していたような気もするけど・・・
あの格好、マカロニウエスタンをイメージして
つくったとか、そのイメージに合う身長と顔で選ばれたと中村敦夫が何かの番組で語っていたのを思い出しました。
木枯紋次郎・・・子供の頃見ていたようで、かすかに記憶があります。
長楊枝を加えて・・・・かっこ良かったですよね。
あの作品も、市川監督の作品だったんですねえ。
なつかしいです。